Wednesday 4 May 2011

自分の命を「堂々と」守ること

前回のブログで、日本で生まれ育った人には「自分だけ楽をしたり生き残ってはいけない」という内なる声が強いということを書きました。私がメルマガでも同じ内容を皆さんにお送りしたところ、やはり日本に住む友人たちから「日本では一億玉砕のような不穏な雰囲気がある」「被ばく量の少ない土地に避難したいが自分だけ助かるわけにはいかないと悩む福島のお母さんたちが多い」などの声が寄せられました。やはり、安全のために日本からすごい勢いで帰国していった外国の方たちのように「堂々と自分の命を守る」という一見当たり前のようなことも、日本人にとってはなかなか難しいということです。「皆一緒に苦しみを分かち合う」ということで偉業がなされるのも事実ですが、一方でそのような生き方をすることの選択権がない赤ちゃんや子供たちまでもが犠牲になるのは避けなければならないと強く思います。

そんな中、子供たちを被ばくから守るアクションを起こしているお母さんたちのサイトの情報が回ってきました。 http://mscr.jp/?eid=3

また、避難・疎開先を提供する運動が市民レベルで行われています。http://hinanshien.blog.shinobi.jp/

自主避難なので、やはり上記に書いたような理由で、せっかく避難先が決まっても内なるプレッシャーや周囲への気遣いから話を白紙に戻してしまうケースが多いようです。子供を含む国民全員の身の安全を守るアクションが国の主導できちんと行われるとそのようなプレッシャーはなくなると思います。でもそれと同時に私たちひとりひとりが「自分の命を堂々と守れるようになる、そして自分の命を守ろうとしている人の権利を邪魔しない」というふうに変容することに、日本の存続がかかっているような気がします。自分のケアができてはじめて、他人の命も守れるようになるのでは。。(坂)

Tuesday 3 May 2011

日本のゴースト!?

3.11の震災後、49日も過ぎ、早いものでもう5月。日本からは「もう震災や原発の話はたくさん、自分は日常に戻っている、戻りたい、ゆっくりしたい」という立場と「もう後には戻れない。自分も世界もどんどん変わっていかなければ」という二つの立場が混在している雰囲気が伝わってきます。
そんな中、日本発のあるブログで、最近「自分だけ生き残ろうと思わない」という言葉が流行っているということを知りました。この言葉を聞いたとき、自分の中で危険信号が点滅するのを感じました。少し前さかんに自粛が騒がれたときに感じたざわざわっとした感じと出所は同じなのですが、今回ははっきりとした危機感。なぜかというと、この言葉には「一緒に死んだり苦しまないあなたは裏切り者だし身勝手」という非難が暗に含まれており、しかも一見とても美しくて高潔な立場から言われるので、反対を唱える人は悪者という前提がすでにできている、とても手強い言葉だと思うからです。個人のカウンセリング技法に加えてグループワークの方法論も視野に入れたプロセス指向心理学では、「誰もその立場をはっきりと取っていないので目には見えないけど、暗に示されていたり、皆がその存在におびやかされているような立場や声」のことを「ゴースト」と呼んでいます。