Tuesday 3 May 2011

日本のゴースト!?

3.11の震災後、49日も過ぎ、早いものでもう5月。日本からは「もう震災や原発の話はたくさん、自分は日常に戻っている、戻りたい、ゆっくりしたい」という立場と「もう後には戻れない。自分も世界もどんどん変わっていかなければ」という二つの立場が混在している雰囲気が伝わってきます。
そんな中、日本発のあるブログで、最近「自分だけ生き残ろうと思わない」という言葉が流行っているということを知りました。この言葉を聞いたとき、自分の中で危険信号が点滅するのを感じました。少し前さかんに自粛が騒がれたときに感じたざわざわっとした感じと出所は同じなのですが、今回ははっきりとした危機感。なぜかというと、この言葉には「一緒に死んだり苦しまないあなたは裏切り者だし身勝手」という非難が暗に含まれており、しかも一見とても美しくて高潔な立場から言われるので、反対を唱える人は悪者という前提がすでにできている、とても手強い言葉だと思うからです。個人のカウンセリング技法に加えてグループワークの方法論も視野に入れたプロセス指向心理学では、「誰もその立場をはっきりと取っていないので目には見えないけど、暗に示されていたり、皆がその存在におびやかされているような立場や声」のことを「ゴースト」と呼んでいます。
いわば空気中に漂うおばけのようなものですね。たとえば上記の場合は「一緒に死なない/苦しまないのは身勝手だ」「こんなご時世に自分の快楽や身の安全のためにラクをしたり休んではいけない」という声。被災していない人や会社までが自粛しようとしたり、原発や被災地から比較的遠い人が放射能の影響から身を守ろうとするときに肩身の狭い思いをするのもこのゴーストに影響を受けているためです。戦時中の日本に活躍したゴーストはまだ健在だった、というかその時と同じくらい危機的な状況なのでまたこのおばけが活発になってきたのかもしれません。

外国人たちが「身の危険の可能性があるときには予防の意味でも逃げるのが当たり前でしょ」とさっさと帰国するという行動に出た時、日本側はびっくりしたり恨めしげに思ったりしたようですが、ゴーストの影響を受けていないとこんなにも堂々と自分の命を守れるのかと、少々うらやましくもあります。私自身は人生の大半を日本で過ごしたので、やはり日本のゴーストからの影響を受けやすいです。でも「一緒に死のう」というプレッシャーに負けて死んでしまったら、無念で自分も幽霊になってしまうと思うので(笑)、「一緒に生き残る方法をなんとか模索していきましょう」という立場でやっていきたいと思っています。このブログでも「被災地の人に悪いと思わずに、心身のケアをしましょう」と言ってきたのも、このゴーストへのささやかな抵抗とも言えるかもしれません。また、生き残るための現実的で新しいアイディアを提案をする少数派の人たちが、情緒的な多数派の声につぶされてしまわないようなサポートもこれからしていきたいと思っています。

友人に勧められて読み始めた内田樹さんのブログに、「明治40年代前まで日本人はもっと合理的で実証的でクールだった」という言葉がありました。一丸となってがんばる、他人を思いやる日本の素晴らしい特性と、今では西洋に投影されてしまっている合理性や現実主義を錬金術的になんとか良い形に練り合わせていくことに日本の将来がかかっているように思われてなりません。(坂)

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